「僕と広田の、これまでとこれから」 茂木雄太郎

SET社会人メンバーの茂木雄太郎です。

仕事では、医療・介護の現場の一端に携わる営業マンとして
プライベートでは、酒と音楽とマリーンズをこよなく愛する、社会人5年目のおっさんメンバーである。

自己紹介はこれくらいにして、僕と広田町とのこれまでとこれからを、ブログに綴らせて頂きたい。

僕が広田町と出会ったのは、東日本大震災発生から5か月後の2011年8月。大学3年生の頃だ。
SETを創設した先輩から、広田町に来ないかと、声をかけてもらったことがきっかけだ。

当時は、震災直後の混乱がようやく収まり、震災に関する報道も少なくなりつつあった。
「現地では本当に何が起こっているのか?」
「現地の人は何を求めているのか?力になろうとする若者に、何をしてほしいのか?」
テレビやネットだけでは知りえない、リアルな情報や声を現地の方から聞いてみたいと思い、広田町に行ってみようと決めた。
しかし、その時はSETが広田町自体に関わってからまだ半年足らず。
よそ者の大学生を、温かく迎えてくれるのだろうか?津波で全てを失って大変な最中に、僕らが踏み込んでいっても、地元の人達は心を開いてくれないのではないか?
今となっては一切無用な心配だが、そんな不安を抱えた中での、初現地入りだった。

広田町に3日間滞在したが、抱えていた不安は、初日のお昼までにすべて消えてしまった。
とにかく人がオープンでフレンドリーかつウェルカム。「よく来たねえ」「どっから来た?」とあらゆる方から笑顔で声をかけて頂くほどの大歓迎ぶり。

「チャッコ(茶っこ)シテケ」という呪文に近い言葉を何度か聞いたが、「お茶していきなさい」という意味なのだと後で知った。

「こんな町があったのか…」
前述の不安で抱えていた僕にとっては、まさに衝撃だった。
アイスブレイクも進んだ時、現地の方に、気になっていたことを率直に聞いてみた。
「僕らのような大学生に、何をしてほしいですか?」
すると、予想していない答えが返ってきた。
「とにかく広田に来てほしい。若い子が来てくれるだけでありがたいから。」
この町には若者がいない、過疎が進んで50年後には町自体が無くなってしまう、
だから、外部から若者が来続けてくれるだけでいいのだと。皆、口を揃えてそう答えた。
これにも衝撃だった。ボランティアとか募金とかではなく、とにかく現地に足を運ぶことが地元の人が一番求めていること。
ならば、ボランティアなどでなくとも、自分たちが足を運ぶだけで喜んでもらえるのであれば、何度でも足を運んで、この街に関わり続けよう。そしてこの町で感じた衝撃と温かさを、他にも広めて、広田町のファンを増やしていこう。そう決意し、SETに加わった。

その後大学卒業まで、広田町に足を運ぶ人、広田町のファンを増やすことを第一として、現地入りプロジェクトを手掛けたり、広田町の食材を東京で味わうイベントなどを手掛けたりした。
わずか1年にも満たない期間だったが、本当に充実していた。初めて会った方が、次回は顔を覚えていてくれ、やがて「もぎちゃん、元気か?」と声をかけてくれる。こうやって少しずつ親しい方が増えていくことが嬉しかった。ただ、この期間で「ファンを増やす」という目的は達成できずじまいだったと思う。

大学卒業後は、社会人として仕事に追われながらも、SETに微力ながら関わらせてもらっている。現地にも、どんなに忙しくとも年1回は足を運ぼうと決め、5年経った今も続けている。
最近は、そこに友人なども誘って一緒に広田の空気を味わってもらい、「また来年行こうか!」とリピーターになってもらうようにしている。こうして広田ファンを増やしていく行動を、足腰立たないジジイになるまで、少しずつ自分なりに続けるつもりだ。

突然だが、僕は今の後輩達に対して猛烈に嫉妬している。
なぜなら、「広田ファンを増やす」という学生時代には達成できなかった目的を、彼らは想像の遥か上をいく形で実現させてしまったからだ。
後輩達は、揃いも揃って僕より遥かに優秀で(いじられるのはそのせいか!w)、各々が抱えている広田町への想いも深くてアツい。町とのパイプが一層強くなったところに、CMSPやたかぷろを始め、無数のプロジェクトが次々立ち上がるようになり、「あんなことできるかな?」とふと思いついたことがすぐに実現に至っている。この状況を見て、僕が学生の時にこんな環境があれば…なんて考えてしまったり。
とまあ、個人的な愚痴は置いといて笑、それにしても本当に想像しえないところまでSETは広田に根付いてきた。今や150名を超えるメンバーがおり、移住者も増え続けている。町内全ての部落で何かしらの活動が行われ、それらの活動に対して本気で涙し、本気で向き合ってくださる。町のあちこちでSETの話題が上がる。この町に関わると決めた6年前から見て、こんな未来がやってくるとは、1ミリたりとも想像していなかった。
僕は、そんな未来を必死で作ってきた先輩の皆さん、後輩の皆、そして広田町の皆さんに心から感謝したい。
そして、誰かが迷ったり悩んだりした時に、寄り添ってその背中を押せる応援団役として、SETの隅っこにでも居させてもらえれば幸いだ。

SETは、一言でいうと「温かい」チームだ。
広田町も、一言でいうと「温かい」街だ。
同じ気質を持ったコミュニティ同士だからこそ、奇跡的にマッチングし、ここまで続いたのだろう。
そんな奇跡的な関係に出会えたことに感謝しつつ、これからも「広田ファンを増やす」「誰かの背中を押す」という2つのポリシーを、自分なりに細く長く、続けていこうと思う。

そして、いつまでも温かく迎えてもらえる人間であるために、己の器を磨いていくことも、忘れないようここに記しておく。

長くなりましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

【私の広田ベストピクチャー】

これほどまでに熱くまっすくで、クレイジーで、人間味があって、ある意味どうしようもなくて笑、且つ、心から尊敬できる人達。
お互い足腰立たなくなるまで、この町で酒飲みながら、何かしら夢のあることをやっていたいと思う。

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