ちらつく春、と茶畑のあの日

広田町からリアルタイムでリアルな声をお届けする
連載企画「ひろたより」。
本日は2本目のひろたよりです^ ^

SETの移住したメンバーが、広田町の四季折々の様子や暮らしを定期的に発信していきます。
ぜひ、読んで声を聞いて、広田を感じてくださいね。
皆さまの声もコメント欄でお待ちしています!

 


今回のひろた人:
煙山美帆

東京都墨田区出身、広田歴8年)

22歳で移住をしてきたとき、私には何もなかった。肩書きも専門性もキャリアも。夢だけを見ていたのかもしれない。

でもそれから7年が経ち、今もその夢は確かに続いています。
町の人と積み上げて来た時間も、この町で子育てを満喫できていることも、年々増えていく移住仲間達との志高い熱い時間も、すべてが私の心になっています。

まだまだ続いていくよ。
これからの人生も楽しむよ。

そんな東京下町育ちで現在は2人の女の子の母です。

 


 

雪の少ない今年の冬。
それでもちゃんとやってくるのは
次の春に花を咲かせるため。


子どもの頃は
雪は冬の風景だと思っていたけれど、
おとなになってこの町に来て
それは春が近づいて来たことを知らせるお便りなんだと知りました。

広田では雪のお便りの他にも
海の住人達も矢継ぎ早にお便りをくれる。


漁師のお兄さんから50cm級の真鱈さんが届く。
「こないだはオスだったべ?
今日はメスやっから!」

捌いてみると
お腹に卵をたくさん抱えた母さん真鱈。
その卵さえも有り難くいただくために、煮切り酒とお醤油に漬けて
それをふっくら吸い込んだ翌日に戴きました。


お次は牡蠣さんからのお便り。
実はもう少し先の雪が完全に溶ける頃の牡蠣が絶品なのですが、
いや広田湾の牡蠣はいつ食べても
最っ高ですよとも思ってます。

さすがに実の大きさは全盛期よりは劣りますが、それでもこの町に出会うまでに見てきたどんな牡蠣よりも大きい。

そもそもこんな風に
袋にパンパンに詰め込んだ状態にも
出会ったことはなかったです。

こちらは牡蠣汁と牡蠣フライで!

なんだかグルメ記事になりかけてますね。

広田で出会ったグルメ話を振り返ろうと写真を探してたらこんな写真が出て来た。

2012年の3月だそう。

震災からまだまもないこの日、
地元のじいちゃんの茶畑の剪定を手伝った。

この頃じいちゃんは
町のみんなからの困り事を聞いては
町中を軽トラで走り回っていた。

その間自分のことは手が回らず、
震災前は大切に育てて出荷もしていた
茶畑の仕事はほとんどできていなかった。

と言っても、
当時放射能の影響で
お茶の出荷ができなかったのもあって。

でも
今は茶葉として収穫はしてあげられないけれど、簡単に切り倒すこともできないから、

「伸びっぱなしも可哀想だし
せっかくならお前らで剪定してやってけろ!」

そんな流れで手伝わせてもらった。

終わってそのままお礼を伝えにおうちに行くと、なんとばあちゃんがお昼ご飯を用意してくれていて。
この頃地元の方にこんな風におもてなしを受けることは本当に申し訳なくて。
事前に何も用意しなくていいですからね!
働きますから!
とお伝えしたりもしていたっけ。

それでも
「なにも!こんなもんしかねぇから…!」なんて、恥ずかしそうに笑いながらも
溢れんばかりの愛が詰まったお食事ができていて。

「すみません!本当にありがとうございます!!次はもっとお手伝いしに来ます!!いただきますっっっっっ!!!!」

と戴いたその一枚なんですよね。

ちなみにばあちゃんのこの日のご馳走。


おにぎりとタコなます。とおうどん。

たまんないですよね。
なんだかあのばあちゃんに
会いに行きたくなってきた。

あの頃から、
何かお手伝いをさせてもらっては
その倍以上のお返しを戴いて、
このままじゃ私たち何もできてない!と

また会いに行っては

またまたたくさんの経験と愛情を戴いて……

とこの繰り返しが
8年間紡がれ続けているのが
SETなんだと思う。

この日見た茶畑からの空の色を
今でも覚えている。

きっと一人一人に広田での
そんな景色があるんだろうな。

 

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